2014年3月20日木曜日

色々ありました。

すっかり間があいてしまいました。申し訳御座いません。


気がつけばもう三月も半ばを過ぎ、九州のほうでは桜も開花したようですね。日本の春は本当に美しいです。以前、授業内で春の話になった時、ある先生が日本とヨーロッパの春の違いについておっしゃっていたことがありますが、ドイツやオーストリアの冬というのは日本に比べ長いようですね。長い長い冬に閉ざされたあとの、5月、いっせいに花が咲きこぼれ新芽が初々しく手を伸ばす春というのは、現地のひとにとってはこの上なくきらめいて、胸がときめく季節なのだと先生はおっしゃっていました。雪が溶け、花は通りに道々にあふれ、鳥はめいめい歌い、人々はその訪れに感謝する。その感動は現地にいっただけではわかり得ないもので、やはりそこに生まれ、育ち、生活をしているからこその感動なのだと、先生はまた、おっしゃっておりました。


では、日本で生まれ、日本で育ち、日本で生活をしているわたしたちは春への感動がヨーロッパのひとより薄いのでしょうか。
日本の春は、奥ゆかしく、しかし自信に満ちて暖かい、そんな風にわたしは感じます。
暖かくなってきたかと思うと翌日は寒く、風が強く凍えてしまうかと思うと、その風の中には確かに優しい手のひらのような暖かさがあります。ふと見上げるとこぶしの蕾が豊かに膨らんでいて、視線を下げれば、オオイヌノフグリが植え込みを静かに照らしています。だれに言うでもなく梅がふとこぼれるように咲いて、桃が家々の庭で恥じらうように開いたあと、桜が、その蕾に隠していた新しい春の空気を、日本中に優しく優しく、惜しげもなく吹き込んで行くのです。


四季の話をするとき、わたしはいつも北野武監督の「Dolls」を思い出します。あの映画はわたしの大好きな映画のひとつですが、見ると切なくなるのであまりみられません。^^;



さて、3月はじめ、最後のリサイタルを終えました。先日、無事に修了証書を頂き、長いような短いような2年間に終止符を打つことが出来ました。
この2年間は本当に色々なことがあり、肉体的、精神的に辛いことも多く、思い返すと笑えるような思い出も多々あります。夜行バスで移動中、SAで休憩をとっている時、体調が悪いのと、連日の行き来が精神的につらくてつらくて、自動販売機の前でぼろぼろ泣いたことや、明け方近く、自分はなにをやっているのだろうとか、見通しの利かない将来への不安でふいにその場から一歩も歩けなくなってしまったことや、仲間に迷惑をかけて、カリキュラム内でのアンサンブルが解散するかもなんてときの、押しつぶされそうな恐怖と後悔など、書ききれないほどの苦い思い出は、端っこを思い返すだけでも暗い気持ちにさせられます。かと思えば、そんなときに叱咤激励してくれる友人や、いつも笑顔で迎えてくれる友達や、どんなことをしても、どんな時であっても、わたしを愛してくれている両親や、わたしのつたない演奏を聴きにきてくださって、素敵だったと言って下さる方々、惜しみない愛をもって様々なことを教えて下さった先生方、そしてそのすべての方々が健康でいてくださるということ、こちらもまた、書ききれないほどの楽しい思い出が出来ました。この2年で得たものはとても濃縮されていて、わたしの人生の中でとても重要なものとなりました。

ベートーヴェンのクロイツェルを共演してくれた林朝美さんと。

当日行けないからと、東京からわざわざお花を贈って下さったかたもいらっしゃいました。




また、3月初めにはカルディアとしてのアルバムも発売させていただき、学生生活を終える年にそのような機会をいただけて、本当に素敵な記念となりました。有難う御座います。


上段右に、わたしたちのCD。店頭に飾って下さっているのは、小さい頃からよく行っていたCDショップ、アポロさん。このほか、山野楽器さんも置いて下さっています。


4月からはどうなっていくのでしょう。新しいことも始まれば、終わるものもあるのでしょう。不安のほうが大きく、歩き出すのが怖いというのが正直なところです。

知り合いが、「自分の人生なのだから、「○○の期待に応えなければ」と思いすぎないで、自分のしたいように生きればいいんだよ」と言ってくれたのですが、その言葉がいまのわたしにはとても有難くて、でもまだ吹っ切れないところもあって、少しずつ、「誰かに喜ばれる、誰かを失望させない人生」ではなく、「わたしの選んだわたしの人生」にしていけるよう、ゆっくりゆっくり、日々懺悔と感謝を忘れずに生きて行けたらいいなと思っています。



もうすぐ、春はもうそこにいますね。


大好きな先生。本当に有難う御座いました。
星野沙織


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