2013年10月30日水曜日

コンツェルト終了致しました。

 またずいぶんと間が空いてしまいました。申し訳ございません。

わたしが更新しないうちに、空はすっかり高くなって、空気は夜ともなればもうすっかり冬のようにきんと冷え、植物たちは段々とその身を守るように静かに佇み始め、蝉の代わりに鈴虫が鳴き、町を歩く人たちの肩がすこしだけこわばってきましたね。

紅葉がない意外は、もうすっかり秋です。さつまいもや栗、さんまやきのこがおいしい季節です。

毎年、祖父母の実家に生えている柿の木がおいしい実をつけてくれまして、今年も祖父母が送ってくれました。市販のものとは全くちがう甘味とジューシーさに、いつもいつもあっという間に食べきってしまいます。

わたしは幼い頃からスイカが一等好きなのですが、その次になんの果物が好きなのと聞かれたら柿と答えるかもしれません。勿論それは味や食感が好きというのもあるのですが、幼い頃、祖父と枝切り鋏で柿をもいだことや、それを服でこすって丸ごとその場で食べたこと、一年に一度くらいしか顔をだせなくなってしまった今でも、こうして毎年かかさず送ってきてくれる祖父母の顔などが、私の中で辛いくらいに甘酸っぱく思い出され、よけいに美味しく愛しく感じるのかもしれません。丁度それは、お母さんの肉じゃがが好きな男の人の感覚とどこか似ているのかな、なんて思ったりもします。


 表題の話になりますが、今月18日、オーバードホールにてメンデルスゾーンのヴァイオリンコンツェルトをオーケストラの方々と演奏させていただきました。

 オーケストラの方々は大学時代の同級生や先輩、セミナーで知り合った方などが参加してくださっており、とても心強かったです。また、わたしの先生や学校でアンサンブルを教えてくださっている先生も参加してくださっており、まさか先生がコンサートマスターを務めるオーケストラをバックに、メンデルスゾーンを全楽章、それも客席数が2000人を越すホールで演奏出来ることになるなんて、2年前には露程も想像しておりませんでした。

 選抜オーディションの時から、メンデルスゾーンは名曲なので選択するのは勇気がいると言われており、練習の度そのプレッシャーと、曲の圧倒的な素晴らしさに応えられない自分の腕の未熟さに、何度も何度も選択したことを後悔しました。しかし、これがオーケストラとコンツェルトを演奏出来るわたしの人生最後のチャンスだと考えたとき、なんの曲をやれば後悔しないのかと自分とむかいあうと、やはりメンデルスゾーンしかでてこなかったのです。

1809年に生まれ、1947年にその短い生涯を閉じたメンデルスゾーンは、貴族の出ではありましたが精神がとても繊細で、そういった精神的な弱さを持っているひとでした。神経症がもとで衰弱し、発作によるくも膜下出血で亡くなったとされていますが、その繊細すぎる神経をもっているというところも、なんだか妙に魅力的に感じられるのです。(写真は12歳のメンデルスゾーン。美男子ですね。)

 人間誰しもそうだと思うのですが、時々すべてにおいてとても不安になるときがあって、そんな時はなにをしても落ち着かなく、声を張り上げたくなるのです。わたしの存在を忘れないでいて欲しいと思う反面、だれにもかまわれずにひとりきりになりたいのです。ひとりで生きられるようになりたいと願った瞬間に、大切な存在を作りたいと思うのです。

衝動的なものだったり、一過性のものなので、数日もすればまた普通に暮らすのですが、メンデルスゾーンはこのような、おそらくもっと複雑で複合的な不安定さを、若い頃からずっと引きずって生きていたのでしょう。だから彼の曲の中には時折、ぐらりと足下が歪むような感覚に襲われるメロディがあるのかもしれません。


 オーディションに合格した時はなかなか信じられず、実感がわかないまま時間が過ぎて行ったように感じます。オーケストラとの合わせも何度もやっていただき、本当にお世話になりました。長丁場でお疲れなのに、みなさん本当に御優しく、また指揮者の先生も丁寧にご指導下さいました。
 オーケストラ合わせが始まった頃、ヴァイオリンに不具合がでて—E線がひっくり返るというものだったのですが、これがなかなか厄介で本当に青ざめました。どうすればいいのかと楽器屋さんに泣きついて、遠隔から対処法を教わったり、また替えの線を送っていただいたりと、楽器屋さんにもご迷惑を!本当に有難う御座いました。


 わたしが行っている楽器屋さんはもうずっと前からのおつきあいで、本当に親身になってくださいます。楽器の持ち方のレッスンから、わたしの他愛無い世間話まで、嫌な顔ひとつせずつきあってくださる担当のMさんには、感謝をしてもしきれません。有難う御座います。


 本番当日はなんだか落ち着かなくて早めに楽屋に。ご飯を食べてゲネプロをして、ドレスに着替えてお化粧をして、あれって言う間に時間になりました。

 演奏が終わり、ブラボーの言葉を頂いたとき、ああこれでもうオーケストラと弾くことはないのかもしれない、この角度から指揮者の方を見ることはないのかもしれないと思うと、なんだかじんとしてしまいました。笑顔で握手をしてくださった指揮の円光寺先生の紅潮した頬の色や、振り返ってコンサートマスターの席にいらっしゃる先生と握手をしたとき良かったよとおっしゃっていただけたこと、その時そこから眺めた、ソリストでないと見ることが出来ない角度からのヴァイオリンセクションの美しさ、先生がそばでわたしのためにオーケストラのパートを弾いてくださっていたということ、最後まで暖かく聞いてくださっていたお客様、仕事で聞きにこられなかった父、高齢でくることはかなわなかったけれどいつも応援してくれている祖父母、にこやかに拍手を送ってくれたオーケストラのメンバーの方々、そのすべての風景や音や、光や匂いが、今でも思い出すとたまらなく幸せなのです。


拍手を頂いて3度目に舞台に戻る時、出るのが少し遅れてしまって慌てて舞台へ走り出したのですが、拍手が鳴り止みかけたのに走っていた勢いで止まれず、直前に舞台袖から顔をひょっこり出してしまいました><でも皆様御優しくまた拍手をくださいまして、嬉しいやら恥ずかしいやら、それもまた思い出となりました。

 当日はわざわざ東京からお越し下さった方が幾人かいらっしゃいまして、申し訳ないといいますか、本当に有難い限りです。有難う御座います。しかもお花やプレゼントまでもってきてくださった方も!!本当に本当に感謝です。有難う御座います。;;

 また、翌日の北陸新聞に写真付きで掲載していただき、本当に思わぬプレゼントを頂いてしまいました!有難う御座います。記事の写真はHPに載せましたので、ご覧くださいませ。


 一緒にソリストとして出演したピアニストのあさみちゃんよしみちゃん、おつかれさまでした。本当に二人とも素晴らしくて、楽屋のモニターや舞台裏で演奏をききながらじんとしていました。またふたりともとてもかわいいんだもの!


 コンツェルトがおわってからは、トリオでのレコーディングが始まりました。今日はその最終日。明日はまたハードに動き回らねばなりませんが、この富山との行き来もあと数ヶ月。体調を崩し救急車のお世話になりもしましたが、ここまで移動が激しかった2年間はありませんでした。少しだけ、プロの演奏家や先生方のご多忙さに触れたような気がします。もっともっと、ヨーロッパからアジアから、時間も関係なく飛び回る先生方が、時間をとってわたしたちのレッスンをしてくださるのですから本当に有難い限りです。先生に対する敬意はいくらはらってもはらいきれませんね。


 まだ色々あったのですが、それはまた次の記事にてご報告致します。

こちらをいつも見てくださる方々、また、応援してくださる方々、本当に有難う御座います。もう少しまともな演奏家となって、期待してくださっている方々の気持ちにお応え出来るよう、精進して参ります。

感謝を込めて。

星野沙織


HPへ戻る→https://sites.google.com/site/saorihoshinoviolin/

2013年10月8日火曜日

あなたとてをつなぐこと

一番好きな歌があります。定期的にそれを聴いては、その度胸がいっぱいになるのです。

美しくまた素晴らしい詩に、同じかそれ以上素晴らしい音楽が付くとその詩が何倍にも印象深く、また素晴らしく感じますが、三善晃先生の「生きる」はまさにそれだと思っています。

谷川俊太郎は「生きる」の詩の中で、生きているということは木漏れ日が眩しいということだと言いました。海は轟くということ、かたつむりは這うということ、ひとは愛するということ、また、あなたと手をつなぐこと、すべての美しいものに出会うということだと言いました。
もしそれがそうなら、三善晃先生の「生きる」に出逢えたことがわたしにとっての「いきているということ」だったのかもしれません。


三善先生はいま、あちら側でまた美しい詩に美しい音楽を縫い合わせているのでしょうか。わたしがいつかあちら側に行った時、書き溜めた三善先生の素晴らしい作品の数々を聞かせていただけるのだと信じて、先生のご冥福を心よりお祈り致します。



夏に出歩くのが苦手です。地面にたくさん蟻が歩いていて、ずっと注意していないと踏み殺してしまうからとても怖いのです。みなさん経験がおありでしょうが時々見計らったように足の着地点に蟻が走り込んできたりするので、そういう時などは足をあらぬ方向に急旋回させなければならず、その度どきどきします。


秋になってくれたのでそろそろ普通に歩けるなと思っていたのですが、今日のような秋晴れの日ですとまだ忙しく地面を走り回ってお仕事してますね。お疲れ様です。


2,3日前にモンキチョウを見かけて、まさか今の時期に生まれてきたのかとびっくりしましたが今日はシジミチョウのつがいを見つけましたし、カにも刺されました。虫たちも秋晴れの日は嬉しくなるのかしら…

シジミチョウのつがいが鉢植えの草花の中でじゃれあっているのをみていると、命の不思議を感じずにはおれません。蝶々の脳はせいぜい3つの簡単な働きを体に送っているわけで、勿論わたしたちのように複雑な信号を出す脳ではありません。生物学的にみれば、蝶々は子孫を残すという生き物の本能で相手を探すわけです。
そんなことはわかっているし、余計なことを感じてしまうのはわたしが人間だからなのでしょうが、それでも二匹がきらきら木漏れ日の中で踊っている姿は、わたしには愛に満ちているように見えてならないのです。相手に出逢えた喜びや愛を伝えあって、生きていることを喜んでいるように見えてしまうのです。

わたしもこんな掛け値のない、純粋な喜びの中で感謝して生きていけたら、なんてまた柄にもなく思ったりしてしまって、ダンスの邪魔をしないようそっと二匹の横を気配を押し殺して通り過ぎたのでした。



ああ、刺された手首が痛痒い…^^;
写真はアレクサンドルドゥパリの蝶々のカチューシャ
星野沙織

2013年10月5日土曜日

去られるものの静けさ

 ふいに頬や体に触れる空気が冷たく感じまして見上げたらとてもとても遠くに空があったものですから、わたしはつい置いてけぼりになった気がしたのです。
 季節は移り行くたびにわたしを置いていってしまうので、わたしはいつもそのあとを一所懸命おいかけていないとなりません。置いてかれてしまうというのは家主に去られてしまった鳥の巣と一緒です。小さくなりすぎたお勉強机と一緒です。物置に仕舞われたままのクーピーと一緒です。それらはみんな静かになって、やがて口を閉ざして行きます。静かに各々の思い出の中で息をするようになるのです。こういう流れは去られる側にはどうすることもできません。どんな風に去るのかその日がいつなのか、それは去る側にゆだねられているものなので、置いてかれる側はいつもそれを受け身の体勢で待つしかないのです。
 幼い頃から、わたしはなにかに去られるというのにとてもストレスを感じていました。たとえばそれはほんの些細なものにもそうで—いまでもそうなのですが—、好きなグラノーラがなくなってしまうのが怖いであるとか、大切にしている香水がなくなるのが怖いであるとか、お気に入りの色鉛筆が減って行くのが怖いであるとか、小学校の頃のノートが風化して行くのや、幼稚園の時ずっと一緒だった毛布がすり切れて行くのや、ほんとうに小さなことなのですがそういったものがとても怖いというか、大事にしているものが少しずつ弱まって行く姿がたまらなく切なくなるのです。
 今回は打破するぞと意気込んで新しくものを買ったとしても、終わりが見えてくると怖くて使えなくなってくるのです。この歳になってその癖をだいぶん克服してきたかなと思える時もありますがまだまだ難しくて、ものを使い切るということはわたしにとっては勇気のいる作業なのです。

 すこし話がそれました。置いてかれてしまうと次にめぐってくるまでその季節の中で待ち続けないとならないため慌てて追いかけるのですが、慌てて追いかけるせいなのか毎年毎年、「あれ、秋ってこんなに寒かったかな」と思うのです。ひとよりもかなり寒がりなものですから、秋物を着る前に冬物を引っ張りだしてしまうのが残念・・とはいえ、そんなんですから秋物はほとんど持っていません。秋物の色合い、好きなんだけれど^^;
 

 さて、以前のブログで書きましたポストカードのことですが、先日の恵比寿アートカフェフレンズのライブ時、受付横にこっそり置いておりました。一枚160円全三種類です。



恵み

天使


 それぞれは着彩し先日のSMFに出展したためこの線画とは全く異なる仕上がりとなっていますが、ポストカードはポストカードとして違うものとして作りました。また、実際には「SAORI」の文字ははいっていません。
 もしご購入希望の方がいらっしゃいましたらご連絡くださいませ。とても喜びます。(笑)


そう、先日八丈島の方からおじゃれホールでの演奏のお写真が届きました。HPにアップ致しましたので御暇なときにご覧になってください。


ああ、アラステアとビアズリーの画集が欲しい。退廃芸術にどうしても惹かれてしまうのは、わたしの悪い癖なのでしょうか。日本の美徳のひとつである「滅びの美」は、やはり一等美しいなあと思わずにはおれないのです。

星野沙織


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