2013年10月5日土曜日

去られるものの静けさ

 ふいに頬や体に触れる空気が冷たく感じまして見上げたらとてもとても遠くに空があったものですから、わたしはつい置いてけぼりになった気がしたのです。
 季節は移り行くたびにわたしを置いていってしまうので、わたしはいつもそのあとを一所懸命おいかけていないとなりません。置いてかれてしまうというのは家主に去られてしまった鳥の巣と一緒です。小さくなりすぎたお勉強机と一緒です。物置に仕舞われたままのクーピーと一緒です。それらはみんな静かになって、やがて口を閉ざして行きます。静かに各々の思い出の中で息をするようになるのです。こういう流れは去られる側にはどうすることもできません。どんな風に去るのかその日がいつなのか、それは去る側にゆだねられているものなので、置いてかれる側はいつもそれを受け身の体勢で待つしかないのです。
 幼い頃から、わたしはなにかに去られるというのにとてもストレスを感じていました。たとえばそれはほんの些細なものにもそうで—いまでもそうなのですが—、好きなグラノーラがなくなってしまうのが怖いであるとか、大切にしている香水がなくなるのが怖いであるとか、お気に入りの色鉛筆が減って行くのが怖いであるとか、小学校の頃のノートが風化して行くのや、幼稚園の時ずっと一緒だった毛布がすり切れて行くのや、ほんとうに小さなことなのですがそういったものがとても怖いというか、大事にしているものが少しずつ弱まって行く姿がたまらなく切なくなるのです。
 今回は打破するぞと意気込んで新しくものを買ったとしても、終わりが見えてくると怖くて使えなくなってくるのです。この歳になってその癖をだいぶん克服してきたかなと思える時もありますがまだまだ難しくて、ものを使い切るということはわたしにとっては勇気のいる作業なのです。

 すこし話がそれました。置いてかれてしまうと次にめぐってくるまでその季節の中で待ち続けないとならないため慌てて追いかけるのですが、慌てて追いかけるせいなのか毎年毎年、「あれ、秋ってこんなに寒かったかな」と思うのです。ひとよりもかなり寒がりなものですから、秋物を着る前に冬物を引っ張りだしてしまうのが残念・・とはいえ、そんなんですから秋物はほとんど持っていません。秋物の色合い、好きなんだけれど^^;
 

 さて、以前のブログで書きましたポストカードのことですが、先日の恵比寿アートカフェフレンズのライブ時、受付横にこっそり置いておりました。一枚160円全三種類です。



恵み

天使


 それぞれは着彩し先日のSMFに出展したためこの線画とは全く異なる仕上がりとなっていますが、ポストカードはポストカードとして違うものとして作りました。また、実際には「SAORI」の文字ははいっていません。
 もしご購入希望の方がいらっしゃいましたらご連絡くださいませ。とても喜びます。(笑)


そう、先日八丈島の方からおじゃれホールでの演奏のお写真が届きました。HPにアップ致しましたので御暇なときにご覧になってください。


ああ、アラステアとビアズリーの画集が欲しい。退廃芸術にどうしても惹かれてしまうのは、わたしの悪い癖なのでしょうか。日本の美徳のひとつである「滅びの美」は、やはり一等美しいなあと思わずにはおれないのです。

星野沙織


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