2013年5月30日木曜日

オーケストラと森

作曲家の宮川彬良さんが以前仰っていた言葉をふと思い出しました。
「オーケストラは森と一緒、無駄なものがなにもない」
オーケストラはひとの手が作り出したものですから、不必要なものをいれなければ無駄なものがなく作れるのではないかなと思うのですが、森というのは誰が手を加えた訳でなく、これはいらないなどと指導する者も、必要であるからとなにかを足す者もいなくて、滅びるものは滅び、代わりに生まれるものがあって、補い合い、互いに折り合いをつけながら存在し続けているのですね。そう思うと、なんだか畏怖にも似た憧れを感じるのです。自然に存在するものには無駄なものなどない、当たり前と言われればそうなのですが、それでも、森から見たら無駄なものばかり欲しがって囲まれて生きるわたしは彼らのように少しでも生きることが出来たらいいのにと思ってしまうのでした。

買うつもりもないくせに、デザイナーズ家具などをみるのが好きです。こんなデザインよく思いつくなとか配色でこんなにもののイメージが変わるのかとか、または上質な革のバッグや名刺入れや、アンティークの美しい鈍色や青銅色のドアノックなどをみているのが好きです。時代を超えて来たものの出す色というのは、いつもなんだかひとを惹きつけて、そのくせ押し付けがましくなくそこがまた素敵に感じられます。
わたしがいま使っているヴァイオリンはとてもとても古い楽器でわたしの何倍もの年月を生きてきている筈なのに、体はあんなに小さくて、表板はあんなに薄くて、少し弾かないとすぐに機嫌を損ねてしまって、なんだか弟みたいに思えてしまうのです。それでも彼の出す音は年々深くなっていって、時々わたしがびっくりするような年輪の音を出してくれるようになりました。
はじめてあの楽器に会ったのはもう何年前なんだろう。他の楽器よりすこし小さめで、なんだか放っておけなかったあのこ。ワインレッドのような色と音のヴァイオリンと、どちらにするか悩んだ時、決め手になったのは生きてきた年の長さとその小ささと、素直過ぎるくらいの音だった。こんなに長く付き合っているのにまだまだ充分使いこなせない悪いお姉ちゃんだけれど、どうぞこれからもよろしくね。なんて、楽器に語りかけたりするのでした。

ああ、お腹がぽにょぽにょ…お酒と食べ物、控えないといけません。つい欲ばかりが先行してしまいます(>_<)
星野沙織 
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2013年5月27日月曜日

柔らかさと凛々しさ

一夜明けて、こんにちは。昨日無事に、ライブを終えることが出来ました。お越し下さいました方々、本当に有難う御座いました。また、来られずとも応援してくださっていた方々、有難う御座います。

また、今回も遠方からわざわざお越し下さった方、別の日にプレゼントを届けておいてくださった方、欲しかった絵本作家の本を(多分こちらのブログでその本について以前書いたのだろうと思います、もしかしたらカルディアのほうだったかもしれませんが)覚えていてそれを下さった方、当日必要になるだろうと様々な備品を差し入れてくださった方、可愛らしいお菓子や、わたしの好きな和菓子をくださった方、また暖かいお言葉下さった方々、本当に本当にいつも有難う御座います。


朝晩はまだ肌寒さの残る気温になるとはいえ、すっかり夏の日差しになってきましたね。街路樹の葉もしっかりと太陽の光を受け止め返して、一枚一枚に力強さが満ちてきました。

さて、よくよく知人から「色々なタイプの洋服をきているけれどどのような服やタイプが好きなの?」と聞かれます。
わたしはあまりこのブランドが好き、というものはないのですが、総じてシンプルだけれど素材が良く、デザインがどこか洒落ていて身体のラインに沿うようなもの、というものが好きです。レースやリボンも勿論憧れるけれど、ここぞという時に着たいのはシンプルだけれど美しいフォルムのもの。アクセサリもチェーンは細いものが好きですし、ずっしりとオパールが光るブローチより、星屑のように小さなダイヤやペリドットが使われているイヤリングが好き。

ブランドでいいますと、最近はポールカというところのお洋服がみていてとても素敵だなあって思います。アナウンサーの方とかがよくお召しになっているブランドのようで、お上品だけど可愛らしさがあってフォーマルなシーンではとても活躍してくれそうなところです。

クロエの女性的な空気も好きなのですが、わたしにはいささかふんわりとしすぎているのかなあとも感じたりします。ケイトスペードのような色合いも好きなのですが、あまりお洋服の組み合わせにセンスがないので、せっかくのバッグのよさを消してしまいそう^^;

スペインのブランドであるシビラは中学の頃から変わらず好きなのですが、こちらもまたデザインがとても素敵。独特すぎる時もあるけれど、本当にしっとりと体に沿ってくれます。

色々書いたけれど、シビラとポールカのものを清水の舞台から飛び降りて2,3着購入しただけてあとは勿論持っておりません笑 だいたい普段はZARAやナチュラルビューティーベーシックやAZUL、セールの時に行けるのがグレースコンチネンタル、アニエスベー、ete、スワロフスキー、ダブルスタンダード、アクアガールなどでしょうか。でもそういえば、セールの時に覗いても結局買ってないブランドが殆ど…

わたし色々みているうちにパニックになってしまって、どれを買えばいいのかわからなくなり結局何も買わず帰ってきてしまうことが多々あるんです。それでいて、ふとした時に思い切ったものを買ってしまったりもして、なんだか自分で自分がよくわかりません。効率よく買い物が出来ればいいのですが…なかなかうまくいきませんね。でもそれのおかげで散財せずに済んでいるのかもしれません^^
でもこれですこしはわたしの嗜好わかっていただけたかなあ、どうでしょうか、○○ちゃん!笑

ちなみに素材がよくてシンプルなものが好きというのは食べ物にも通じていて、フレンチなどの手の込んだソースと共に頂く牛頬肉も好きだけれど、飛騨牛を塩胡椒で炭火焼したもののほうが飛びつきたくなってしまいます笑 お魚も西京焼きより塩焼きが好き。カルパッチョよりお刺身が好き。ビストロで出される野菜のポタージュより、お母さんの豚汁が好き。

お酒についてはまだよくわからないけれど、このあいだ初めて焼酎にチャレンジしてみました。既にほろ酔いだったのでよくわからなかったのですが、悪酔いはしなかったのでいけそう…ウイスキーの次は焼酎ですね^^色々なものを試して、一番好みのお酒に出会えたらいいな。ちなみにカクテルは種類が多すぎてどれが好きとは言えません(>_<)あんなにたくさんの種類を覚えて、それをお作りになれるバーテンダーさんてすごいなあ。


外出したのに本を持ってくるのを忘れてしまいました。昼食に作ったお味噌汁がお鍋にまだ残ってることお母さんに伝えなきゃ、なんて考えながら、日が伸びた空の色を車窓から覗き見るのです。

写真は昨日のライブ後。
星野沙織
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2013年5月26日日曜日

熟れる実の早さ

おはようございます。といってももうおそよう、くらいでしょうか^^本日もとても良い天気ですね。五月晴れ、ともうしましょうか。

段々と新緑が、生まれたての柔らかさから青年の若々しさに変わって、春の花々はいよいよ姿をひそめる時期になりました。道々をピンクに染めていたツツジもこれが最後だというように目一杯咲き切っていますね。

ある時から、花が枯れて行く姿がとても恐ろしく感じるようになりました。枯れる前の熟れに熟れた姿が、死が間近に迫っているのをわかっているような、いっそ下品なまでに馨しい蜜の香りやしどけなく開き切った花弁一枚一枚、それらがいくつもいくつも折り重なって花壇や花瓶の中でゆらゆらしているさまが、わたしの中で澱のように溜まって行くのです。死ぬ前に子孫を残そうと恥もなにもかもかなぐり捨てて虫たちを誘う花が、生き物としての本能を剥き出しに映し出しているようでどきりとしてしまいます。こと切り花の水を替える時などは、その水に花の命が溶け出しているように感じてたまらなくなったりするのです。

勿論美しい花を見るのは大好きで、春や夏はとてもうきうきします。冬から春になった時、ふと見た足元に咲いた最初のオオイヌノフグリを見つけた時の喜びといったらありません。秋の落ち葉だって枯れるという意味では同じなのですが、花に感じるような怖さは感じません。

多分、花はわたしには美しすぎるから、はかなくて大胆で、死ぬ時まで瑞々しすぎるから、まるでミレーの描いたオフィーリアのように、生と死の間をゆらゆら行き来しながらゆっくりと死んで行くから、こんなにも身近に死を感じてしまうから、だから怖いのだろうと思います。

朝からなんだか考えてしまいました。バルトーク、はやく弾けるようにならなければなあ。などと考えながら、本日の本番会場へ向かうのでした。
星野沙織
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2013年5月25日土曜日

自由と孤独、束縛と安定

また少し間があいてしまいました(>_<)申し訳御座いません。

最近めっきり暑くなりましたね。5月半ばまでの肌寒さはどこへやら、夏服で歩いて丁度いい程になってしまって。段々と春や秋の期間が短くなっているようでなんだか寂しいです。

日本の春と秋は格別美しいと思います。とはいえわたしは海外の四季を実際に肌で体験したことはないので完全なるわたしの個人的な意見なのですが、春に様々な色、形の桜やハナミズキが街道を彩り、秋には心にそのまま突き刺さってくるくらいの赤いモミジや黄色のイチョウが山々を染めあげていくのを見ると、ああこんな景色が毎年みられるなんて、なんて恵まれているんだろうっていつも感じます。日本は狭く資源も少ないし、政治の問題や人権問題など難しくまた解決し難い問題が多々あって、不満を感じている人が多いと聞きます。勿論わたしだって色々な事が不自由に感じたり文句も沢山あります。音楽的環境をみても、ヨーロッパに比べたら日本は恵まれているとは言えません。でもやはり、日本に生まれて本当に幸せだなあと感じるのです。
わたしはよくよく様々な事柄について文句や不平不満ばかり考えてしまうのですが、そういえば日本に生まれなければよかったと思った事は一度もありません。もしかしたらこれがドバイに生まれていたら、120%の湿気に嫌気がさしていたかもしれません。スペインに生まれていたら、スリの多さや失業率の高さに辟易していたかもしれません。でももしかしたら、どの国に生まれていても「この国に生まれてよかった、幸せだ」と思っていたかもしれません。そんなことはわからないことだけれど、それでも思うのは、どの国のひとが見ても日本の四季は紛れもない美しさであろうと言うことです。だからもっと先に日本に生まれてくるひとたちが、わたしのようにそれらを見、感じて愛しく思えるよう、日本の四季や美が失われていかないことを願うのです。


自由というのは存外孤独ですね。という文をなにかの本で見かけたことがあります。
「人間どこかで、束縛されたがっているのかもしれない。」
主人公の若い医者が言うと、
「よく言うよ、束縛されると逃げ出すくせに。」
と苦笑いをしながら同僚がそれに応えるワンシーンが、なんだか妙に印象に残っています。そう言えば最近、なにかの番組で
「男の人は狩猟本能があるから、尽くしすぎる女性は振られる」
などとやっていたと人から聞きました。確かに狩猟本能のことはよくよく言われていることですし、男性に限らず、また恋愛に限らず、追い求めた先にやっと手に入れたものというのは格別大事にしたくなるものと言いますね。
わたしはどんなものでも失うということに対してとても臆病で、Mr.Childrenのある曲で歌われている「捨てるのに胸が痛んでとって置いたケーキを 結局腐らせて捨てる」ということを数えきれない程してきました。それによってひとをいたく傷つけたことも、傷つけられたこともあります。大なり小なり、ひとは同じような体験をしているのでしょうからこのような性格の方はわたしひとりでは勿論ないのですが、そういうことが起きる度に、もっとわたしがちゃんとした人間だったら傷つかずにすんだひとがいたのにだとか、食べ物が美味しい状態の時にみんなで美味しく食べられたのにだとか、今更考えてもしようが無いことをぐるぐる考えてしまったりするのです。

誰にそうさせられているわけでもなく、当たり前のことのように巡ってきてくれる四季のように、当たり前にひとへの誠意や思いやりをもって人生を巡ることが出来たら、本当に本当に幸せなのに。
星野沙織
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2013年5月22日水曜日

超越する身 受け継がれる美

予想通り、先日のコンツェルト落ち着いて聴いてみるとここがいや、あそこがいやと気に入らないところが目立ってきました。なかなか練習と同じようにはいきませんね。緻密さが足りなさすぎて、良い勉強の材料になりました。また次の機会にむけて精進ですね。


なにはともあれ、自分への褒美になにか買おうかなって思ったのですがいざなにをとなると迷ってしまって決められません。以前書いたペンタブレットは勿論ですが、折角ならばお気に入りのお洋服屋さんでなにか、とか、美味しいものにしたほうが、とか…

ここ数ヶ月一番迷っているのは、セカンド楽器を購入しようかどうしようかです。少ないですが外で演奏する機会というのもありまして、そういう時に(こといまからの梅雨時期は特に)いつも使っている楽器でなく、外用の楽器のようなものがあってもいいかなと思っているんです。ただ選ぶとなると楽器屋さんも様々、楽器も様々で、どれがいいものやらくるくるしてしまいます。仕事柄クロサワバイオリンさんでよく楽器を見るのですが、品揃えが豊かなのでクロサワバイオリンさんだけでまず迷う迷う^^;
楽器というのはご存知の通り、時を越えてひとからひとへと受け継がれていくものです。時間も国も、使う者の性別も年齢も越えて、楽器は生まれた時から世界中を旅する運命なのです。だからいま日本の小さな楽器屋さんにある楽器は昨日までフランスにいて、手練れのおじいさんが長年愛用していたのですが訳あって楽器を手放したのかもしれないし、そのおじいさんの前は中学にあがりたての色の白い、そばかすがすこし目立つけど目の色がとびきり魅力的な緑色をした少女が使っていたのかもしれません。そしてその前には、アジアの投資家が資産として保有していたかもしれなくて、もっともっと前はどこかの名門の貴婦人がサロンで演奏する時に使っていたかもしれないのです。

ふと楽器を見つめる時、ひとつひとつの傷跡や、染みのあとを見ます。ここにあるのはきっと涙、こちらはこういう奏法の時に。前使っていたひとも湿気に弱いこの子に悩まされたのかしら、指板は何度削ったのかしら、ネックを替えたあと初めてこの子を弾いたのはどんなひとだったのかしら、わたしの前に弾いていたひとはどこの国のひとだったのかしら…

わたしの楽器はどんな景色を見て、どんなひととどんな音を奏でたのでしょう。どうかいま、わたしと一緒にいる時が一番、この子が気持ちよく歌を歌えているようにと願うのです。


今日も短め、すみません。今日は仕事や合わせや打ち合わせ。夜は何を食べましょう^^ぽにょぽにょになってしまうなあー(>_<)
星野沙織
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2013年5月21日火曜日

光陰は止まらない

夕飯と共にウイスキーをいっぱい。しそ、まいたけの天ぷらとごぼう天に、喉ごしのいいあたたかいおうどんをいただいて、デザートにチョコのパウンドケーキと、熟れに熟れた赤いいちご。

それでもなんとなくまだなにか食べたいって思ってしまうのは、胃拡張のせいでしょうか\(^o^)/いけない!

気がつけば5月も折り返して、もう6月の梅雨の気配を感じる湿度になってきましたね。お肌にとってはいい季節ですが、バイオリンにとっては受難の季節。なにぶんボディが木で出来ているので、湿気を吸ってしまって音が硬くなってしまうのです。

富山県の梅雨時期の湿度はまた格段に高く、それはもう、楽器はもとより室内にもかびが生えるのではないかというほどです。除湿機を買った方がいいと思いつつ結局買っていませんが、今年はどれくらいの湿度なのでしょう。あまりひどくならないといいのですが!

雨といえば、小雨の時だと傘をさしていても濡れてしまいませんか?そんなに横風が吹いているわけではないのに、気がつくと傘をすり抜けて顔や肩に降りかかっていて目的地に着く頃にはなんだかしっとりと体全体が濡れているような、小雨が身体中にまとわりついているような気分になります。多分、小雨は寂しがりだから、誰かと一緒にいないと落ち着かないんでしょう。だから空から地上に飛び出して道ゆくひとたちや、木々や建物や、飛ぶ鳥や自転車なんかにこっそりくっついて回るのではないでしょうか。なんて、ちょっとロマンチック過ぎるかもしれませんね。


コンツェルトがおわってぼんやりしていますが、今日からいよいよ兵士の物語の練習がはじまります。またメンバーの方々にお会い出来るのもとても楽しみですし、なにより篠井英介さんにお会いでき、彼の朗読が聞けるというのがとてもとても楽しみ!一流の俳優さんと共演させていただけるというのは本当に恵まれた機会だと感動しています。篠井さんの素晴らしい演技を邪魔しないよう、精一杯演奏させていただきたいと思っています。練習、しなきゃ!
兵士の物語は6/10の19時から、渋谷の大和田さくらホールにてとなっております。兵士の物語のほか、箪笥という演目もやります。そちらも篠井さんが朗読なさいますので、是非いらしていただければと思います。お問い合わせはわたしまで宜しくお願い致します。


ピアソラというとブエノスアイレスの四季が一等有名ですが、いまその編曲を行っています。秋口までに全てを終えて、三人で演奏出来ればと目論んでいますがさてどうなることか…しかしこの組曲(と言っていいのでしょうか?)、本当にどの曲も格好いいですね。聞いてくださる方々にこの魅力が伝えられる演奏ができるよう、精進したいと思います。その前に自分の勉強のためのバルトークとバッハとブラームスが待っていますが…^^;


8/1のチラシが刷り上がって、一部の方にはもうお手元に渡っているようです。わたしが手にするのは6月にはいってからなので、直接お会いする方にはそれ以降に手渡し出来るかと思います。お待ちいただけたら幸いです。



印刷して、アルバムに写真を残しておこうと思うのです。でも写真屋さんにいくのが億劫になってしまったりして、ついつい先延ばしになってしまいます。データはふとした時に消えてしまったりするから現物として残しておきたいと思った時に、もともと現物は劣化するし失われることがあるからデータで保存したい、とデジカメが市場に出回り始めた頃思っていたのを思い出して、なんだかその矛盾に苦笑いしてしまいました。
写真もデータも失われても、自分の中に閉まっておいていつのどんな些細なことでも思い出せればいいのですが、わたしはすぐに大小たくさんのきらきらした出来事を忘れてしまうから、それがいつも悔しいのです。せめて今日一日は、ほんの小さな事でも眠りにつくその前まで覚えていられたらいいのだけれど。



星野沙織

2013年5月19日日曜日

有難う御座いました。

ここ数日、ご無沙汰しておりました。ご心配おかけしまして申し訳御座いません。

本日、無事にコンツェルトを終える事ができました。わたしが演奏致しましたのはドヴォルジャークのヴァイオリンコンツェルトの2,3楽章で、1楽章は友達が弾きました。

ご存知の方が殆どかと思いますが、コンツェルトといいますのは日本語で協奏曲と書き、オーケストラと独奏楽器による楽曲のことをいいます。独奏楽器はピアノであったりヴァイオリンであったり、フルート、チェロ、オーボエ、トランペットなどなど様々、また作曲家もバロック時代から現代に至るまで多種多様な方がコンツェルトを作曲しています。

ドヴォルジャークはチェコを代表するロマン派の作曲家で、幼い頃にヴァイオリンを習っていました。また彼の才能はブラームスに認められ、あの素晴らしいメロディを紡ぎ出すブラームスに「彼はメロディを生み出す天才だ(ブラームスが言った正確な言葉でないかもしれませんが、確かこのようなニュアンスだったと思います)」と言われた程でした。
彼の作り出すメロディはどこか懐かしくて切なく、故郷を彷彿とさせる甘酸っぱさが感じられます。広々と広がる麦畑、それらを抱くように果てなく続く青空の、中ほどを掻っ切るように飛んでいく鳶や、それを仰ぎ見るこどもの麦わら帽子に隠された、危うげな栗毛色の髪の感触。ドヴォルジャークはあのような旋律をどんな気持ちで書き留めたのでしょう。わたしが想像している風景の少しでも、彼が想像したりみていたりしていたら良いと2楽章を弾きながら思っておりました。

3楽章はまるで小鳥がさえずるように始まります。(余談ですが小鳥のさえずりというとわたしはいつもプロコフィエフのピーターと狼を思い出します。フルートの奏でる小鳥のモチーフが、くるくると頭の中を飛び回るのです。)
独奏者(この場合わたしですが)がテーマを弾くと、それを受けてオーケストラが同じテーマを華々しく奏でるといった、掛け合いのような作りになっています。中間部はどっぷりとドヴォルジャークの世界が広がっており、チェコの民族的な旋律と独奏楽器の超絶技巧により曲半ばの見せ場となっています。
終盤の盛り上がりは言わずもがなで、オーケストラの溢れ出す音の数々に独奏のきらびやかなメロディが絡み合い、瑞々しい音たちが極みまで上り詰めた時、このヴァイオリンコンツェルトは幕をおろすのです。
ドヴォルジャークといいますとチェロコンツェルトがあまりにも有名ですが、このヴァイオリンコンツェルトもチェコの自然を感じさせられる素晴らしい曲ですので、是非一度お聞きいただければと思います。

そんなこんなでして、ここ数週間はプレッシャーでてんやわんやでした。コンツェルトというのは先程も申しましたがオーケストラと一緒に弾くわけで、つまりオーケストラがなにをしているか理解していないと演奏がうまくできません。アンサンブルがうまくいかないとならないけれど、自分がソロということを忘れてオケに埋れてしまってはいけないし、かといってひとりよがりではアンサンブルもへったくれもありません。それにソロなのでどんなに長い曲でも暗譜をせねばならず、故に練習もソナタや他の曲に比べてかなりの時間や集中力を要します。

コンツェルトというと高校時代にヴィヴァルディを、大学時代にチャイコフスキーをやって今回で3度目でしたが、回を重ねるごとにコンツェルトに対する畏怖が高まっているように感じます。歳を重ねる程に怖いものが増えるように、本番に起こりうる様々な思いもがけない事態を危惧してしまうからでしょうか。ちなみにわたしは大人になって、木登りが怖くなってしまいました。小学校の頃はイチョウの木のてっぺんまで登って、気に入りの本を読んでいたのですが、いまはとてもとてもそんなことはできません。

そんな畏怖に加え、今回はコンツェルトを演奏する11人の最後だったものですから今まで素敵な演奏をしてきた他の子の演奏に泥を塗るわけにはとそんな緊張もありました。

冷静になって見つめ直せば、今回の演奏ちらほらとやってしまっている部分も多く、明日になって気分が落ち着いたら「ああ、嫌だ!こんな演奏!」なんてまた頭を抱えたくなるのだろうと思います。でもとりあえずいまは、乗り切れた自分にお疲れ様、と言いたいです。

本番が終わったあと、指揮者の先生やわたしの師匠、またチェロの先生やピアノの先生、友人たちにお褒めのお言葉を頂戴出来たのがとても有難く、またこの上なく幸せな気持ちになれて、ああ、本当に幸せだなあとしみじみ思いました。有難う御座います。

また、メールやお手紙で励まして下さった方々、本当に有難う御座います。いつもいつも支えられています。朝起きたらメールがきているだとか、ふとみたポストに可愛らしい便箋で丁寧に書かれている文字のひとつひとつであるとか、本番終了のご褒美のお品を送ってくださったり、またはわたしの演奏についての感想をとても丁寧に分析してご連絡くださったりだとか、本当に沢山の方に優しさをいただいています。こんなふうにしていただくと、わたしのような人として欠落したような人間でも生きていて良いのだと許されているようで心が軽くなります。

いないほうがいいのだ、と思うことなんて多々あって、自分の足らなさに涙が出ることなんてしょっちゅうあります。未来が怖くてたまらなかったり、いま目の前の本番もうまく出来るのか不安で怯えたり、でも進んでいくしかないわけで、そうして進んでいくうちに少し、例えば縫い目のひとつぶんほどでも成長出来れば、それは生きていてよかったのだと、そう思うようにしたいと最近は思っています。


支えてくださる方々に沢山の感謝を込めて。



星野沙織



2013年5月17日金曜日

ごめんなさい

もろもろのお返事が遅れてしまっています、申し訳御座いません。ただいますこし自分の精神が安定しておらずそのことで手一杯なもので、もうすこし落ち着きましたらちゃんとお返事致します。少しばかりお待ちいただければ幸いです。また、ブログも書けずにごめんなさい。折角見てくださっている方がいるのにダメですね。

田植えが終わった田んぼも見受けられます。かえるが鳴き交わして夏を呼んでいます。ヒヨドリは伴侶を探し、猫は日向ぼっこに最適な場所を探してパトロールを始めています。

わたしの生まれた、夏がやってきます。

星野沙織

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2013年5月16日木曜日

無くなるのは当たり前だけど

プリンタのインクの減りが早い気がします。

そりゃまあカルテットの譜面を二冊分印刷したらなくなってしまうか^^;音符って殆ど黒いですもんね。

というわけでインクを調達したり、製本テープを調達したり。家に帰ったら練習してコピーと製本にまた取り組みました。アンサンブルの楽譜はあとひとつ作れば大丈夫。あとカルテットの譜面は三冊分…てことは、インクもうふたつくらい買ってくればよかったです^^;これでは卒論のためのインクも足らない…

しかし、今日はとても暑かったですね。昨日今日は各地で真夏日だったそうで、みなさま体調など崩されていませんか?最近は本当に春と秋が短くてすぐに夏や冬がやってきてしまいますね。大陸の気候に近づいているのでしょうか。いやだなあ、折角あんなに美しい季節をもって生まれているのだから、日本には四季を失って欲しくないなあ。どこの学校にも桜が咲き乱れるさまや、山をいろどる燃えるような赤い葉っぱに会えなくなると思うと怖いです。もしわたしがこどもをもったら、その子供はあんなに美しい紅葉をみられないのかもしれないのかな、なんて考えたくないのですが、この頃の気候をみていると懐疑的になってしまいますね。


以前も少し触れましたが、新しいペンタブレットを探しています。いま使っているものはいつのなんだろう、かなり前のものでもう反応も悪くなってきているので、そろそろ新調したいと思って価格.comを見たりしています。

いま悩んでいるのはワコムのIntuos5 Comic Edition PTH-650/K3
というものか、同じワコムIntuos5 medium PTK-650/K0



というものなのですが、上記のはお得な限定セットになっていて、ソフトが二つついてくるんです。でも値段はそのぶん高い…でも買うんならソフトがついているほうがいいのか、それともお財布に優しいほうを、ていうかそもそも両方優しくはないのですが…^^;優柔不断なものでだらだら悩んでしまいます。

電子機器って、どんどん新しいものがでてくるから定期的に買い換えないとならなくてなんだかちょっとそこが不便ですよね。消耗品だから仕方ないのかな(>_<)でてくるたびに色々なところが改良されてより良いものになっているわけですが、わたしたちの使う楽器などは新しく作られるものはあれど形や構造が改良されたものって聞かない気がします。ことバイオリンに関しては作る際の寸法なども厳しく決められているので、そういった話は殆どないんじゃないでしょうか(ガラスのバイオリンであるとかクモの糸の弦であるとかイレギュラーなものはあるとはいえ)。
そう考えると、おそらくバイオリンなどは200年くらいは形が変わらずに作り続けられ、ひとからひとへ弾き継がれているわけですから(無論ダ・ヴィンチが設計図らしきもの書いていたりするのでその頃からヴァイオリンというものはあったとされますが、時代変化に伴いネックの長さや肩当て、顎あての発明、弓の形状変化など改良が完了したのは18世紀末です。)、本当にすごい事ですね。そりゃあ東大寺やコロッセオや、現存する歴史ある建築物は残っているけれど、それらといまの建築法は随分と違うわけで(宮大工は別かな?)、時代を越えて製法が変わらないものって、なんだか感動しますね。だっていまだに樹液で表板と横板と裏板なんかをくっつけているんですから!


わたしはあんまり練習をしないタチでしてータチといいますか練習というものが苦手なのですがー普段他の方に比べたら本当に練習しないのです。でも最近ちょっと人並みに練習しているせいで肩にすこし負荷がかかっているようです。だめですね、普段もちゃんと練習しないと。いいお灸です。

負荷、というと本日健康診断の結果を受け取ったのですが、肺にわずかな異常ありと診断されてしまいました^^;とはいえ割りと多くの方がこの診断を下されるらしく、すぐ何があるだとか検査にいけだとかそういった心配はいらないようで一安心です。しかし、こういったことが自覚もないのにわかるわけですから、やはり健康診断て定期的に受けるべきものですね。


今日はなんだかつまらない文。申し訳ないです。明日以降はもう少し、楽しいお話できるといいな(>_<)

そういえば、この本も買いたいと思いながら1年くらい経ってしまったのか…カイ・ニールセンやアラステアの挿絵がはいっていたはず。また立ち読みしに本屋さんいこうかな^^

星野沙織
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2013年5月14日火曜日

スピカに恋するアルデバラン

今日も今日とてうぐいすが、開け放した窓に美しい声を届けてくれています。
今日は部分練習をしているようで、ぴちゅぴちゅぴちゅぴちゅ、ぴーちゅぴーちゅってフレーズを確かめるような鳴き方をしています。鳥の声を聞いていると、なんだかわたしたちが練習する時と似ていて面白いですね。以前窓を開けて練習していた時、ベランダに鳥がきて一緒に歌ってくれたことがありました。勿論鳥のほうがとてもとてもうまくて、わたしのバイオリンなぞ恥ずかしくなってしまうくらいでした^^;
弾くのをやめて鳥の声を聞いていると、ああもう終わりなの?って具合に飛び立っていってしまいましたが、沢山いる動物の中で、きっと鳥は一番音楽の神様に愛された生き物なのでしょうね。多くの作曲家が鳥の声に魅せられて、それを自分の音楽に取り入れていったのもわかります。

何処かから甘いチョコレートの香りがしてきます。トーストの焼けた香ばしさと、眠たい朝には丁度良い、やや甘ったるいくらいのチョコレートペーストの甘い匂い。珈琲と朝のニュースと一緒にゆっくり頂いて、今日一日どのように過ごそうかなどと考えたり、自分の体ひとつひとつの場所に、なにか不具合はないか聞いて回ったり。朝ゆっくり過ごせるって、なんだかとても贅沢ですよね。


そうそう、先日自分のためにプリンタを購入しました。嬉しい!高い買い物だったけれど、これがあればもう怖いものなしです。なにが良いって、楽譜のコピーが部屋で出来るのが有難い(>_<)まだPCとの接続がうまくいっていないのでPCデータを印刷することが出来ないのですが、おいおい何とかなるでしょう。しかし近頃の電化製品売り場はなんだか進化したものが沢山置いてあってびっくりしました。オリジナルカレンダーキットみたいなものから、保護フィルムのようなものをノートに被せるとそれがデータとしてスマートフォンに転送されるとか。なんだかもう、手塚治虫の漫画やバックトゥザフューチャーなんかでみた未来の世界でみたことがあるようなグッズが店頭に並ぶ日も近そうですね。文明の発達って本当に目覚ましいです。いっそ怖いくらいで、もう少し歩くスピードを緩めませんか?って言いたくなってしまいます。

企業同士、国同士の競争のために、走り出したら止まれないのはわかり切っていること。変わって良かったものと、失ってはいけなかったものというのは何年も経ってからでないと見えてこなかったりします。わたしが残念なのは、大正ロマンや昭和モダンの、あの欧米文化と日本文化が混在したファッションやアート、建築などが殆どなくなってしまったことです。ことファッションに関して、普段和服を着て過ごすひとはごく一部に限られているわけで、じゃあ普段着てみればいいじゃないと言われても着物自体が高額である上着付けもひとりでは出来ないし、よしんばそれで出かけたとしても、なにか特別な事があるのかと思われることは必至でしょう。

懐古趣味と言われればそれまでですが、日本の美に対する姿勢がとても好きなものですから、こうして日本の伝統的な美しいものが一般的でなくなってしまっているのが少し寂しくも感じたりするのです。それをいったらヨーロッパだっていまはドレスを着ていないのだけど!!(ちなみにフランス革命あたりのファッションなども好きです)

形のあるものは時を越えてもその姿をとどめたままわたしたちの前に現れてくれたりします。パピルスやネウマ譜のように、石器や化石のように。でも形があるからこそ滅びてしまうこともあります。実在するということにどこか油断して、それ自体を慈しむことを疎かにしてしまったりするのでしょうか。

いま目の前にある色々なもの、生き物も建物も、声も風も、わたしを取り巻く様々なものひとつひとつを、油断せずに心にしまっていけたらいいと思うのです。
星野沙織
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2013年5月13日月曜日

稲穂の素直さ、泉のきらめき

澄んだ朝にはうぐいすの声がよく通りますね。


今朝合わせを終えて、たった2時間前にご飯を食べたばかりだというのにもうお腹が空いてしまうわたしの燃費の悪さに辟易しました。燃費が悪いなら悪いだけ、短時間でもいいからうまく弾ければいいのに^^;
さて、近くに住んでいるうぐいすもだいぶん鳴き方がうまくなって、ほーーーーほけきょっ!ってとても綺麗に鳴きあげてくれます。ほけきょっていうのが申し訳ないくらい。きらきらきらって感じの、春先とは違う自信の満ちた声になりました。

自信というものは実在するものでもなくて個々の心の中だけに生まれるものだけど、とても力を持っていますよね。自分が思っている事柄に自信のある方がなさる演説などはとても説得力がありますし、自信をもってるモデルさんはやはりオーラがきらきらしているといいますか、きちんと地に足をつけて立っているような気がします。

音楽も同じで、自分の演奏に自信のある方の演奏ってやはりとても魅力的というか、広がりがあって訴えかけて来るパワーが違う気がします。
自信が無い時の演奏って、引っ込み思案になるといいますか、どうせわたしの演奏なんてとか、聞いて欲しく無いな間違えたらどうしようとか、そんな事ばかりよぎってしまって自由に演奏出来なくなってしまうんです。反対に自信がある時は、わたしはこれだけ思っていることを演奏で表現出来る、聴いてもらいたい、とか思えたりします。勿論双方緊張はしますし失敗だってしますが、それでも音楽の大きさはだいぶん違ってくるんです。

わたしはなかなか自信が持てないタイプというか、すぐに凹んでしまうので(しかも、形状記憶タイプでないので凹むとかなり戻るのに時間がかかるんです)、高校、大学時分でしょうか、先生に「自己アピールや自信を持つというのも実力のうちです」
なんて言われたりしたものです。特に自己アピールは苦手なので、なかなか…損してるよなんて言われたりしましたが、こればかりは性分なのでどうしようもありません^^;


さて、6/10の「兵士の物語」、いよいよ近づいて参りました。そろそろリハーサルも始まります。俳優篠井英介さんをお迎えして、アンサンブル ムジカ ヴィヴァンテの一員として演奏させて頂きます。19時開演、大和田さくらホールにて。この日はべつの演目の朗読劇もやりまして、そちらも篠井さんがおやりになります。是非お越し頂けたら嬉しいです。兵士の物語、外国版浦島太郎とでもいいましょうか、なんだか面白い内容なので知らない方は是非。チケットはわたしまでご連絡くだされば幸いです。の、ノルマがあるので…^^;

ちなみに8/1にやります音の葉Home Concert メンバーで構成された「音の草原(The prairie of Music」と「真夏の響宴」コンサート。昼、夜の二部構成で、昼はお子様に楽しんでもらえしなライトな曲を、夜は大人の方にご満足頂けるような
曲をそれぞれ演奏致します。昼の部は11:30開演、夜の部は18:30開演。もしご興味ありましたらこちらもご連絡お待ちしております。(こちらもノルマがありまして度々宣伝するかと思いますがご容赦くださいませ^^;)

菫は今年も、気がついたら咲いていました。川に泳ぐ鴨を見ていたら気がつかなかったかもしれないくらい、ひっそりと、茎などは消え入りそうにひょろりと伸びて、その上にチョウチョでも止まっているみたいにふんわりと青い花弁をのせていました。そんな菫が見渡すといくつも咲いていて、ひとつの菫に気がつかないと他の菫に気がつけなかったりして。
川沿いを走る何人がこのいくつも咲く菫の、いまわたしが見ているひとつに目を留めて、わたしが思うようにこの子の危うさやいじらしさを偲んだのだろうと、ふと家路を辿りながら思ったのでした。

今日は文が短いですね^^;ご容赦を。
星野沙織

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2013年5月11日土曜日

愛とはなんなのでしょう

ふとそんなことを考えた時がありまして、高校時分に理科の先生に聞いたことがありました。

「先生、愛ってなんですか?友情と何が違うのでしょうか」

「もし相手が車に轢かれそうになった時、思わず体が固まってしまうのが友情、思わず助けに動いてしまうのが愛」

友情でも動く時は動くし、愛があっても固まることはあるでしょう、極論だと今では思いますが、その当時は成る程と思ったものです。

でももし、わたしが愛をもって接するひとがわたしのかわりに命に関わるような目に遭うのだとしたら、それはとても辛くて悲しいですが、つまりはそういことで、相手もそのように思っているからこそかわりになりたいと思うのでしょう。


他人のためにそこまで思えるようになるって、愛情ってなんて不思議なんでしょう。神様はなんとも、とてつもなく力のあるものを人間にお与えになりましたね。大きすぎてわたしには扱えないくらいです。

人間同士の愛もそうですが、こと神の愛は無償といいます。その事を話題にする時、わたしはいつも「大きな木」という絵本を思い出します。シェル・シルヴァスタインという方の絵本なのですが、最近村上春樹さんが翻訳されたそうですね。わたしはそちらは拝読していませんが、あのお話はとてもとても素敵な本です。大人になって思い返した方が尚更心に響きます。

絵本というものがわたしは昔から好きで、そのシンプルな文体と切り取られた部分部分の場面の絵、大人も子供も楽しめて、夢があってきらきらしていて教訓にもなってるなんて、なんてたくさんのものが詰め込まれているんだろうとどきどきします。今でも本屋さんの前を通ると、絵本のコーナーに立ち止まって見てしまうこともしばしば^^;

絵本には、登場人物ひとりひとりの詳細な心理描写などはありません。場所もどこだかわかりません。時代だってあやふやなことも多く、そんなこと起こるはずがないということも平気で起こります。でも、それが絵本では「当たり前」なんです。存在しない世界も当たり前、存在しない世界へ行くためにくぐり抜けなければならない3つの試練だって、それを成し遂げるために必要な桃色女王バチの蜂蜜も、リュウグウノツカイの涙も、大きなルビィと小さなイエローサファイヤが散りばめられた銀のつるぎも、そしてそれを成し得た時、王女様と結婚出来るのも当たり前。
人食い龍は魔法の葦笛を聞くと踊り出して青年は財宝を手に入れられるし、南国の果ての果てに咲いている花の雌しべから作った金色の団子を食べると、年老いて病にふせていた長老は途端に元気になります。動物は人語を解し、草木花々はまだわたしたちのそばにたくさんたくさん咲いています。泉は湧き、道はうねり、ひとは夜に怯え、昼に歌を歌います。
もちろん、宮沢賢治さんの作品のように現実と夢が絡まり合ったようなものもあります。そういったものもまたとても好き。宮沢賢治さんの作品は本当に素晴らしいですね。こちらもやはり大人になってからのほうが胸に響きました。特にグスコーブドリとよだかの星は好きな話。もう一度銀河鉄道は読み返しておきたいのですがまだ時間が作れていません。なめとこ山の熊も妙に恐ろしげというか不思議というか、印象に残っています。


小学校の同級生に画家のお父様をもつ子がいまして、そのお父様が描いた注文の多い料理店と絵姿女房の絵本をいただいたことがありました。切り絵のような油絵のような、フラスコ画のようなデジタル画のような、フランス的な雰囲気もあれば、ドイツ的でもあり、なんだか不思議な魅力のある絵で、いまでもよく覚えています。


幼少期に読んだ絵本ってよくよく覚えているものが多くて、その絵本に久しぶりにひょんなところで出会ったりすると本当に嬉しくなったりします。なんだか、時を超えてサプライズプレゼントされた気分ですよね。

わたしがもし子をもつようになったら、どんな絵本を読み聞かせてあげよう。母や父がしてくれたように、たくさんたくさん読み聞かせて、いつかわたしが体験したサプライズプレゼントを受け取れるようにしてあげたいと思うのです。
星野沙織

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2013年5月9日木曜日

ウインドウショッピング

今日は過ごしやすいお天気でしたね。ぽかぽかといいますか、歩いたりなどすると暑くも感じるくらいで、もう初夏なのだなあとぼんやり考えながら歩いていました。

気がつけば田んぼには水がひかれていて、違う区画には麦の穂が青々と伸びており、耳を済ますとかえるの鳴き声がほのかに聞こえて参りました。もうすぐそこに夏が構えているのですね。

水が張られた田んぼが好きです。よく晴れた日の朝に、青い青い空や、形を変えて行く雲や、黒くほっそりとそびえる電柱や、まだひと気のない道を走って行くトラクターや、そんなものたちが田んぼに映っているのを見るのが好きです。そっちの世界はどんななんだろう、わたしもそちらに行ってみたいなあ。田んぼの向こう側の世界は、きっともっと空が青くて、木々が大きくて、かえるや鳥はもっと大きな声で歌っている気がするのです。


さて、最近本番やおでかけの時にイヤリングをするようになったのですが、なにぶんいままでしたことがなかったので色々と探したりしています。最近は便利だからどこにいてもインターネットで閲覧出来て便利ですね。仮想ウインドウショッピングといったかんじでしょうか。

しかしながら、ああいいなあって思うとバカ高くて愕然とします^^;このお値段するんならいいところの和食なんかを食べたい!とか思ってしまうあたりが食い意地のはったわたしらしいといいますか…

もうしばらく、イヤリング新調はお預けです^^その前にバッグだったんだ、わたし…以前の記事にも書いてたのに忘れていました笑


食い意地もはっているのですがわたしはお酒も好きなもので、家でも外でもわりと飲みます。よくお酒を飲むと食べ物はいらないと仰る方がいますが、わたしはお酒を飲むといつもより食べたくなってしまうたちでして、たがが外れると言いましょうか、つい食べ過ぎてしまいます。だって、美味しく感じてしまうんだもの!

最近は日本酒とワインのほかにウイスキーも好きになってきました。お店ではハイボールやウイスキーの水割りですが、お家でひとり晩酌をする時はホットコーヒーで割ります。ホットコーヒーにお砂糖をいれ、好みの分量ウイスキーを注いで頂くのですが、ウイスキーの種類をアイリッシュウイスキーにして、仕上げに生クリームを珈琲の上にのせるとアイリッシュコーヒーというカクテルになるそうです。一度それもBARで頂いてみたいなあ。

おつまみにはナッツやドライフルーツ、えいひれやいかげそ、ほっけなんてのも良いですが、やはり一番の肴というと美味しそうにお酒を飲んで、お話を楽しんでいる周りの方の笑顔や楽しそうな様でしょうか。楽しく飲んでらっしゃる方と一緒にいると、こちらも楽しくなってくるから不思議ですね。小さなお店だとなんだか一体感が生まれて、名前も知らないひとと仲良くなって飲めちゃったりして、そういう面でお酒ってとても素敵だなと思います。お酒、というより、その場を提供しているお店の方々が素敵だから、そういう素敵な空間が出来上がるのでしょうね。

わたしもいつまでも与えていただくのではなく、そういった素敵な空間を提供出来る側になっていきたいものです。
星野沙織

2013年5月8日水曜日

春の嵐

今日はまた風の強い一日でしたが、みなさん大丈夫でしたでしょうか?目の中に粉塵がはいった、などという方は多いかと思いますが、わたしも漏れずにその一員でした。

わたしが通っていた大学までは自宅から少し頑張れば自転車でいける距離でして、合わせのために自転車ででかけたのですがまあ家を出た瞬間から向かい風のひどいことひどいこと。人生がうまくいかない例えとしてよくよく荒波だの向かい風だの言われますが、なるほどこれほどの向かい風を経験すると、人生のつらい出来事やなにやらを向かい風に例えたくもなるなと思わざるを得ないほどの強さの風でした。
自宅から大学への行き帰りは同じ道を通るのですが、行きには通れた緑道が帰りには根元からばきりと折れた—直径3、40センチはありましょうか—その木によって通行止めになっておりました。また、走っているわたしの頭にいきなり小枝かなにか固いものが降ってきまして、帽子をかぶっていたからよかったものの、これでもしかぶっていなかったらどこか切っていたかもしれないなとひやりと致しました。そよ風や季節を運んでくる柔らかな風はとても心地いいけれど、ここまで強いと怖いですね。看板や木片や、様々なものが飛んでくる可能性があるわけですから強風の時には十分に注意して外出せねばならないなあと痛感しました。

強風というと、去年の4月頭もひどく強風の日がありましてそのときも買い物にいかねばならず怖い思いをしました。がらんがらんとものが飛ばされる音がしたと思ったら、すぐわきをトタンだか鉄だかの看板が飛ばされていったりして、買いたてのお米5キロを頭の上にヘルメット代わりにのせて小雨の中家まで走ったのも今では良い思い出です。翌日近所の会計事務所さんだかの鉄製看板がぽっきり真ん中から折れているのを見て、無事に買い物が出来て本当によかったと胸を撫で下ろしました。


春は突風が多いと言いますか、三寒四温と言いますか、天気が不安定だと感じる事がおおいのですが、不安定というと秋のほうがよくよく言われますね。女心と秋の空なんて言われますし・・でも実際ころころかわりやすいのは春のほうなのではないのかなあなんて、今年の天候をみていると思います。今年の春の妖精は気まぐれな性格なのかしら。桜が散るのを長引かせたと思ったら、強い風でまだまだコートを恋しがらせてみたり、あついほどの太陽をさんさんと降らせてみたり、本当になんだか、振り回されてしまいますね。小悪魔とはよくいったもの!


さて、筆無精のわたしがここ数日頑張って書いているのは私自身とても意外なのですが、いつまで続くのか・・明日でこのペースも途切れるかもしれません^^;いよいよ大きな本番に向けての大詰めです。い、いやだなあ・・・

ソロというのはどうしてもどきどきしてしまって、臆病なわたしとしてはデュオやアンサンブルがより楽しんで音楽に集中できる気がするんです。ひとりだとどうしても、間違えてはいけないだとか、暗譜が飛んではいけないだとか、音楽以外のプレッシャーにかまけてしまってなかなか楽しめるところまでたどり着けません。

甘ったれていると言われればそれまでですがだだをこねたところで時間は待ってくれませんので、わたしなりに、わたしが出来る事をちょっとずつ準備できればと思っています。

今日の風で運ばれていった雲は今はどこにいるんでしょうか。もう違う国の空の上で、月を見え隠れさせているのでしょうか。太陽の光を帯状にしては地上に落としているのでしょうか。雲には国なんて概念はなくて、ただ運ばれたその場所で漂っては光と遊び、また風によってどこかへ運ばれていくのでしょう。与えられた存在のそれ以上でもそれ以下でもない働きを全うして、やがてもっと高い空に吸い込まれて消えていくのでしょう。わたしもそんな気持ちで、自分に与えられた能力や運命を甘受して生きていきたいものです。

写真はユキツバキ。

星野沙織

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2013年5月7日火曜日

深爪

昔から深爪というものが苦手というか怖いタチで、バイオリンを専攻しているのに長めの爪でした。

深爪をした時のあの独特の痛みが嫌いなのと、切りすぎると爪と肉の間がぱっくりと割れてしまってグリッサンドなどをしようものならかなりの痛みを伴うというのが嫌なのですが、そのせいで弾きにくいのもまた事実。何度先生に「爪長いんじゃない?」と言われたことか…笑

爪とは関係がありませんが、なんだか今日は指の動きがよくなかったです。そんな日はなんだかいろいろな話を思い出してふいに怖くなってしまいます。第一線で活躍なさってた方が、ある朝起きたら左腕が動かなくなっていて引退せざるを得なかっただとか、腱鞘炎がどんどんひどくなって演奏者としては諦め指導者の道へいったとか、どんな気持ちだつたんだろうとか考えるといても立っても、といった具合です。

なんの分野でもそうだとは思いますが、その道を極めたひとであればあるほど、その極めたものを辞めざるを得なくなった時に自分の存在意義を疑うんだと思います。これがやれるから自分はいたのに、それができなくなったいま自分に存在する意味はない、何もできないと思ってしまうのではないでしょうか。ちっぽけなバイオリン弾きのわたしでさえそう思うのですから、一流の方々は尚更そうお思いになったりするのではないかなあ。

よかれと思って積み重ねた練習によって指を壊して弾けなくなってしまうなんて、まるで深爪のよう。深爪は爪が伸びてくれば治るけれど、一度ひどく壊れた指は元には戻りません。

幼稚園がおわったあとに、小学校がおわったあとに、中学にあがったあとも、勉強が忙しい高校の時も、音楽を勉強してる子達は練習をしています。夏はコンクールとセミナーがあり、冬は発表会と試験があります。春には新入生を迎える演奏のための練習をせねばならないし、その合間合間にはちいさい本番などがあったりします。

好きなことを仕事に出来て羨ましいと言われる事があります。確かにその通り、好きでもないことを、仕事だから仕方ないと嫌々毎日続けているひとに比べたらとても恵まれている仕事だと思います。でも決してそこで楽そうでいいなあ、と思わないでいただきたいのです。それまでの間にどれだけ音楽家が音楽に時間を捧げてきたか、遊びたい気持ちを抑えてきたか、泣きながら朝も昼も夜も練習してきたか、少しだけ想像していただきたいのです。会社の祝賀会の時、お料理やお話に夢中で誰も聴いていないその会場の隅でピアノを弾いているピアニストは、その会で弾くために何時間も練習してきています。そしてその何時間の練習で弾けるようになるために、まだ言葉もおぼつかない頃から必死でピアノと向き合ってきています。深爪をした日だって、指を切った日だって、痛みを気にする暇もなく練習を重ねてきているんです。

その仕事についていないと、その仕事の本当の辛さや本当の素晴らしさはわからないものだと思います。演奏を終えて、お客さまから素敵な演奏でした、とか、ありがとうと言われた時のあの気持ちは、やはり体験しないと伝わらないものなのだと思います。その言葉を少しでも多く聞きたくて、どれだけ辛い思いをしてもまた懲りずに演奏家は次の曲を弾くのではないでしょうか。少なくともわたしはそういう節があります。^^

ひとやペットの繋がりも深爪のように、深くなりすぎると情がうつって自分が傷つくこともあるでしょう。強いひとはそれを恐れないで、傷つくことよりももっと大きい、繋がりをもてる幸せや充足感を大切に感じられるのでしょうが、弱いわたしはまだまだ、深爪に怯えてしまいます。深爪をしたって肉が割れたって、コンツェルト一曲弾ききれるくらいの強さが身についたらとても素敵なのになあ。
星野沙織


2013年5月6日月曜日

Part of your World

先日、大井町にある四季劇場「夏」にて劇団四季の「リトルマーメイド」を観劇してきました。

わたしはアンデルセンの書いた「人魚姫」が大好きで、子供の頃より大人になってからもっとずっと好きになりました。あのお話を読むとなんとも切なくて苦しくてたまらなくなります。人魚姫の、王子に対する掛け値の無い愛情があんまり純粋で深いから、駆け引きだの嫉妬だの羨みだのでくだを巻いてしまうわたしはどうしたらいいのかわからなくなってしまうんです。
人生で初めての、最後の恋をした相手に人魚姫はただの一言も声をかけることが出来ません。どんな質問をされても、どんなことを聞きたくても何も話せず、歩くたびに足は針を刺されるように痛み、それでも王子の笑顔を見るために人魚姫は夜毎踊りを踊るのです。やがて王子は別の女性を好きになり、そのお披露目の会でとびきりの踊りを踊って人魚姫はふたりを祝福します。彼女がどんな思いでいるのか誰一人として知ることもなく、みんなの目には「兄のように慕う王子の幸せを喜ぶ可愛らしい女の子」として映るのです。


ディズニーのリトルマーメイドは人魚姫を題材にしてはいますが、内容はもっと楽しく軽妙でハッピーエンドとして作られています。ですので今回の劇団四季のリトルマーメイドも勿論、最初から最後までわくわくと楽しめる内容となっています。

ディズニー映画のほうもそうですが、劇団四季のリトルマーメイドも実に色とりどりの舞台装置や衣装で、こと「アンダーザシー」の時などは舞台のどこを見たらいいのか迷ってしまうくらい沢山の魚がでてきては歌い踊ります。また光や音響効果も実によく出来ていまして、本当に水底にいるかのようであったり、海底から水面に泳いで行く高低差を感じたりなど、限られた「舞台」というスペースの中でどのように表現するかをとても考えられていると思いました。
あと、休憩中後ろに座っていらした方のお話が耳に入ったのですが、その方のお話によると今回の舞台装置は「海の中は立体に、陸は平面に」という意図があるらしく、海の中の岩やモニュメントなどは殆どが立体で作られているのに対し、陸での背景や波、岩場、太陽などは絵本のような平面的な作りになっているそうです。人魚姫にとっては陸地がおとぎ話の世界、というのを表現しているのでしょうか。でもこのお話を聞かなければわたしはきっと気がつかなかったし、多分わたしのように気がつかない方ってそこそこいらっしゃると思うんです。そう考えると舞台芸術って奥が深いといいますか、もっとそういうところも気をつけて次から観劇したいなあと感じました。


なにはともあれ、名曲揃いの演目で目にも耳にもとても楽しい!お子様もきっと満足してくれること請け合いです。アンデルセンのように悲しい内容にはなっていませんので、どうぞ安心して皆さん劇団四季のリトルマーメイドをご覧くださいね笑


もしもわたしが一言だけ伝えられるとしたら何をいえばいいのかわからない、という歌詞が劇中にでてきましたが、言葉にすることが出来ないということは本当に本当に辛い事ですね。伝えられるうちに、伝えたいひとに伝えたい事を伝えられるよう、素直に生きていけたらいいな。



星野沙織

2013年5月5日日曜日

逸る気持ちと怯む心

夜、眠たいのに眠れない時があります。寝たいのに眠れないといいますか、寝たくないといいますか。なんなんでしょうね。
そういう時は決まって心がなにかを探しているような、待ち望んでいるような感じでわたしに訴えてきます。「いまはまだ寝ては駄目、もう少ししたら来るかもしれない」「後少ししたら出会えるかもしれない」
なにに出会えるのか、なにがくるのか、結局わからないことの方が多くて、素直に早く寝ていればよかったのに!なんて朝方眠気で不機嫌になりながら思う事も多々あるのですが、夜中の心の動きというものは本当に不可思議ですよね。若い頃、真夜中に書いた詩を朝方読み返して絶望する、なんてこと、一度は誰しも経験していらっしゃるのではないでしょうか。わたしは・・・どうでしょう^^笑

ピアソラの編曲、あとはアーティキレーションをつければ終わり。今回のは四部作のうちの一曲なので、残りの三曲も今後ゆるゆるとやって参ります。

さて、この時間になるとぐっとおなかが減ってくるんです。練習の後、23時を回っているのにも関わらずスティックケーキを食べてしまいました・・・ああ、こうしてお腹や下あごやふとももにいらない肉を与えてしまっているのね!いまに紅の豚みたいになってしまいそうで恐ろしいです。わたしの目標はポルコでなくてジーナさんなのに・・・。
ああいったモガ、とても憧れます。あの髪型も、すらりとした体も、大きい金のイヤリングも、シャンソンも、柔らかい立ち振る舞いも、すべて素敵。いい女ってきっとこんな感じ、ってみる度いつも思います。

ちなみにその次に憧れるのは烏帽子御前。強くてしなやかな自立した女性という感じで、これまた憧れます。赤い口紅もよく似合っていてまた素敵。
現実世界だと江角マキコさんや中谷美紀さんなどが魅力的だなあと感じます。

どうやらわたしはああいう大人の女性に弱いようですね。笑


そろそろ寝ないと本格的にまずい、明日は観劇に行くため少し早起きせねばなりません。早起きはそんなに苦ではありませんが、寝る事も好きなので睡眠時間が短いとそれだけでなんだかちょっと損をしたような気分になったりもします^^

いちまいいちまい散ったこぶしのはなびらを拾うように、あるいは割れたガラスのひとかけひとかけを慎重に探すように、当たり前にすぎていく日々という恵まれた事実に感謝していけるよう生きていきたいものです。


星野沙織
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2013年5月4日土曜日

春には春の、夏には夏の

今日も今日とていい陽気ですね。落ち着くと言いますか、外にふらりとでたくなるようなそんな日差しです。

とはいいましても、私は今日は自宅にて作業の日。ちまちまと編曲をしております。

クラシックの編曲もせねばと思いつつどうしても弾きたいピアソラの編曲を先にしてしまうのですが、こればかりは気分がのらないと進まないので致し方ないかなと思っています^^;本当はラフマニノフですとかババジャニアンですとか、いろいろしたいなあと思っているのですが・・・
そう、8月1日に行うコンサートのチラシが出来上がりました。イラストを描いて、デザインを決めて、フォントや色や配置を決めて・・・デザインの勉強をしたわけではないから勿論、プロの方の目にとまったら「なにこれ、めちゃめちゃじゃない!」って思われてしまいそうですが、それでも、頼んでくださった方が喜んでくださって、それが刷り上がってみなさんのお手元に渡ると思うととっても嬉しいものです。
チラシを手に取ってくださる方々が、すてきだなって思ってくださったらいいなあ。

そしていつも、下に自分の名前を入れるのを忘れてしまう・・・^^;年賀状も毎年デザインやイラストを自分で制作しているのですが、こちらも毎回名前を入れ忘れてしまいます。こういうとこが駄目なんですね。詰めが甘いかんじ!笑

そう、知人にとてもセンスのいい曲を作る方がいます。なんていうんでしょうか、ビロードの紅にエアーズロックの茶色を混ぜて、ワルザザードの砂埃とサハラ砂漠の月夜の冷たさをはらませ、それに上等なマッチで火を付けたような、青くて繊細で、迂闊に触ってはその青に焦がされてしまうような曲を作ります。

作曲を習えば作曲が他の人より出来るのは当たり前だし、ヴァイオリンを習えば他の人より弾けるのは当たり前であって、その他すべてのジャンルにおいてそれはそうなのですが、それでも絵画や書物や作曲ってとてもその人が出るものだと思います。センスも問われますしね。その方のセンスの良さや、今まで培ってきた知識の多さや経験の積み重ねを、作曲のまねごとをし始めて改めて痛感します。・・・学部時代、もっと真面目に和声学を勉強しておけばよかったのだ!!後悔先に立たずとは良く言ったものです。(=ω=;

世間はもう夏物のお洋服が出回っていますね。春、夏物の洋服はひらひら明るくてかわいくて、欲しくなってしまいます。油断するとすぐに暗い色の服ばかり買ってしまうわたしとしては意識しながら明るい服を選んだりするのですが、今年はどうぞ春の陽気もそこそこに、真夏がやってくるなんてことになりませんように。真夏になってしまうと春物のお洋服は暖かすぎてきられなくなってしまいますもの!!

さて、そろそろ編曲作業に戻ります。ああ、どこか美術館にいきたいなあ。

星野沙織

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2013年5月3日金曜日

改めて。

さて、此の度サイトもブログもリニューアル致しました^^心機一転といったところですね。
移動してから初の投稿なのですが、移動したのはちょっとした意味がありまして、といいますのはわたしの名前を検索してくださった方はおわかりかと思いますが、わたしと同姓同名の方がいらっしゃいましてその方のページがよくよく表示されるものですから、わたしのことをお探しくださってる方が勘違いなさったり、わたしのページを見つけられなかったりするのではとずっと危惧しておりました。


そしてついに悩みはじめて数ヶ月、Googleさんのサイトとブログに移行決意しまして、一から作り直してみました。



以前のサイトも残しておく予定なのですが基本的にこちらを更新していけたらと思いますので、最新情報などはこちらのサイト、ブログをご確認頂けたらと思います。宜しくお願い致します。



やっと春らしい陽気になりまして、GWもGWらしい天気となってよかったですね^^



新しいイヤリングを買ったので、ライブなど本番の時にお見せ出来たらいいな。近頃は可愛らしいものが増えましたね。



なんてうきうきしながらふとハンドバッグをみたら、持ち手の部分がぼろぼろ^^;イヤリングじゃなくてまず買わなきゃならないものがあったようです。灯台下暗し!




暖かな陽光の中で、若い夫婦が赤ん坊をあやしながらベンチでうとうとしている様を見ると、伴侶やこどもをもつというのも悪くなさそうだと思ったりします。仕事あってこその幸せと思っているわたしには、まだ少し遠い幸せのモデルと言った感じでしょうか。^^



みなさまのもとに、今日の日差しのような暖かく優しい神様のご加護がありますように。



星野沙織