2013年6月19日水曜日

光の中からか闇の中からか

はじめに言葉があって、言葉は神様と共にあって、神様が光あれと仰った時、世界に光が生まれたと聖書には書いてありますね。

宇宙のことを考えても、最初は暗闇というか無の状態で、やがてちりやなにやらが集まって惑星になり、衝突と爆発を繰り返し、熱を帯び、光を持つようになったとか、そんなふうに習ったような気がします。

光は暗闇から芽吹いたけど、光がなければ暗闇は「暗闇」として存在は出来なくて、それはただの何もない、無というものなのでしょうか。
小さい頃、夜の高速道路が無性に恐ろしかった記憶があります。高速道路を走る車のスピード、音、妙に運転席までが遠くに感じられ、窓を過ぎて行く灯りはまるで手塚治虫の描く近未来都市のようで、もっとゆっくり走ってとお願いしながら後部座席で丸まっていました。また、大人になった今でもふいに心が落ち着かなくなって不安に取り憑かれ、いてもたってもいられなくなってしまうのは夜です。そういう気分の時はとにかくはやく夜が明けてくれと願うばかりなのですが、夜というのは生き物になんらかの作用をもたらすのでしょうか。

谷川俊太郎さんの夜や闇についての詩を読んだりすると、そういった夜に対する畏怖のようなものがすこし和らぐのです。
夜はたぶん、わたしをわたしと向き合わせてくれるから、そうしてわたしはわたしを改めて見つけてしまうから恐ろしいのかもしれません。一日生きて疲れた命を癒し、また育て、守りながら寝かしつけ、みんなにそれぞれ鏡を与えては、夜毎に自分自身を見つけさせてくれているのかな。では夜は太陽に寝かしつけてもらっているのかな。あたたかな太陽がわたしたちに真昼を運んでいるそのドレスの裾の中に、夜はもぐりこんでぬくぬくと疲れをとっているのかな。そうだといいな、なんて思ったりもするのです。


太陽の核がやがて燃え尽き、体が大きく大きく膨張するのはいまから何十億年も先のこと。そこからどんどん冷え切って、白くなるのは120億年ほど先だったような。光ることをやっと終え、白く冷たくなった時、きっと夜の大きな胸の中で太陽は至上の幸せに包まれるのでしょう。

わたしも誰かの夜になれる時がくると良いのだけどなあ。まだまだ先のようです^^;
星野沙織
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