2014年7月26日土曜日

喉につっかえる

何かちょっとでも人のためになるようなことが出来れば、少し自分を好きになれそうなのに、そのちょっとができなくて、結局また好きになれないまま一日過ぎて行くのです。


演奏家に向いていないと思う日もあれば、演奏家としてしか社会に入っていけないと感じる時もあります。

裏方の仕事だけしていたいと思う時もあれば、気が利かないわたしでは到底無理だと思うこともあります。


わたしには何ができるのでしょうか。そんなことをぐるぐる考えるというのは、わたしには何もできないということに、ただ気がつきたくないだけなのでしょうか。答えを自分の口から言いたくないだけなのでしょうか。

日差しが肌を突き抜けて、薄皮のすぐ下の肉をじっくりと焼いていくのがわかるような、今日の昼下がり。小さな子が暑さでわけもなくぐずりだし、それを見て思わず語気を荒げ、これくらいで怒ってしまうなんてと悔恨にくれる母親を横目に見ながら、わたしは自転車で街を走っていたのです。

それはよくある光景で、違う親子、違う場所で何度も見ているはずで、おそらく子が出来たらわたしだって同じことをするであろうシチュエーションでした。

でもなんだか、家に帰ってもその光景がふと思い起こされるのです。そしてそれは必ず、母親に対する共感であって、以前は子供に同調していたのが、いつの間にか母親側に同調するようになっているのに気がついて、自分の年齢を改めて思い返したりするのでした。


母親というものになったら、わたしも少しは大人になれるのでしょうか。それとも、何も変わらないまま違う命を育てなければならなくなるのでしょうか。


じっとりと全身に汗が滲むような暑さの中で、漠然と、そんなことを考えてしまったのでした。



歳を重ねるまで、あと1ヶ月。

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星野沙織